大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和26年(う)1118号 判決

控訴人 被告人 杉原致

弁護人 大曲実形

検察官 長富久関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人大曲実形の控訴趣意は同人提出の趣意書に記載のとおりであるから、ここに之を引用する。

控訴趣意第一点(本件所為は刑法第三五条にいう正当の業務による行為)について。

新聞が社会上の出来事に付事実を事実として報道し又は公正な評論をすることは新聞本来の使命であるのみならず一般に報道の自由として何人にも許容されるところであるが、その報道の自由は絶対的のものではなく、ある事件の報道記事に牽連して、その表題並に掲載文の中において嘲侮軽蔑の文辞を羅列し故らに他人に対する侮辱的意思を表現する記事を包括登載するが如きことは権利の濫用であつて新聞紙に許容せられた正当行為の範囲を逸脱したものと云うべく、而して原判決摘示の事実によれば被告人は自己の主宰する昭和二四年一一月一日附新聞「対馬評論」に長崎地方裁判所厳原支部における一色千寿等に対する偽証教唆等被告事件の同年十月二十八日の公判に関する記事を自ら執筆掲載するに当りその表題を「一色氏更に刑期一年、早田氏の珍弁論」と題し該記事中一色千寿の弁護士早田福蔵が同事件の弁護人として為した弁論に関し「一色千寿はかつてのリコール委員長であり、三田又一は副委員長に推薦された程の町民に信望のある有志だから罪にすることは町の損であるとの見当ちがいな事を述べ何等関係のない忘れられた問題を引出し第三者に影響するような珍妙な弁論をして傍聴人を噴飯せしめた」旨を執筆掲載してその頃その新聞約二千五百部を読者に頒布したというのであつて、早田弁護士の公判における弁論そのままを報道したものではなく、その弁論を評論したものであるが、その論旨は公正を欠き、その表現は侮辱的であつて同弁護士の名誉感情を毀損するものであるから、かくの如き新聞記事は前叙新聞の使命に鑑るも到底正当な業務行為として許容さるべきものではない。従つてこの点に関する論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(本件記事は刑法第二三〇条の二にいう公共の利害に関する事実に係る)について。

しかし弁護士の訴訟行為に関する行動特に訴訟事件における意見の陳述は一般に「私行」と解すべきであるのみならず、早田弁護士のした本件弁論の結果が公共の利害に影響を及ぼすものとは云えないから刑法第二三〇条の二にいう公共の利害に関する事実に係ると云うのは当らない。従つて事実の真否の証明を俟たず処罰を免れないのであるから論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(名誉毀損の犯意がない)について。

しかし被告人が自ら執筆掲載した新聞記事が単に早田弁護士の公判において陳述した意見をそのまま掲載したものではなく又弁論の公正な批評でもなく侮辱的意思を表現する記事であることは前記控訴趣意第一点に対する判断において説示したところであつて、本件新聞記事の内容及び表現論調自体に徴するときは被告人に早田弁護士の名誉を毀損する認識がなかつたとは到底考えられないから、論旨は採用することができない。

他に原判決破棄の事由がないから刑事訴訟法第三九六条に則り主文のように判決する。

(裁判長判事 筒井義彦 判事 川井立夫 判事 櫻木繁次)

控訴趣意

原判決は被告人が長崎県下県郡厳原町に於て発行する旬刊新聞対馬評論の昭和二十四年十一月一日附のものに「一色氏更らに刑期一年早田氏の珍弁論」と題し同事件の弁護人早田弁護士は一色千寿はかつてのリコール委員長であり三田又一は副委員長に推薦された程の町民に信望のある有志だから罪にすることは町の損であるとの見当ちがいな事を述べ何等関係のない忘れられた問題を引出し第三者に影響する様な珍妙な弁論をして傍聴人を噴飯せしめたる旨の記事を掲載して発行したことが弁護士早田福蔵の名誉を毀損したものであると認定したのであります。この判決に対して被告人は控訴をいたしました理由を左に述べます。

一、本件は刑法第三十五条の所謂正当なる業務に因り為したる行為で犯罪を構成するものでないにも拘はらず原審にこれを無視されていることが控訴の理由の第一点であります。

蓋し前記原審で犯罪事実とされた新聞記事の内容は昭和二十四年十月二十八日長崎地方裁判所厳原支部において行はれた一色千寿外三名に対する偽証教唆並偽証被告事件の公判廷における弁護士早田福蔵の弁論の一節を新聞記事といたしたもので原審の記録中亀井一満に対する検察官事務取扱検察事務官作成供述調書及亀井一満作成の速記録に於て立証いたした通りであります。即ち右供述調書に、

此時告訴状に添付しある昭和二十四年十一月一日発行対馬評論二頁の一色氏更に刑期一年早田氏の珍弁論と題する記事三段目十行以下を示した。

記事の末尾の珍妙な弁論をして傍聴人を噴飯させたということを除く以外はこの通り早田弁護人は弁論を致しました。尚早田弁護人の弁論に際し傍聴人は皆くすくす笑いましたから私としては苦笑という文句を使い速記しております。そして只今提出しました速記録を杉原致社長に手交した様な次第です。

とある部分及び右速記録中

(4) そして早田氏は一色千寿はかつてのリコール委員長であり三田又一は副委員長であつたこともあり何れにしても二人は有志であるから罪にすることは町の損失であるとの弁論をしたので心あるものは苦笑した。

とあります部分によつて洵に明白であります。而して被告人は自己の編輯発行する新聞紙に事実を事実としてこれを報道したに過ぎないものでありますから新聞の使命を逸脱したものではないと存じます。

二、本件被告人の所為は刑法第二百三十条ノ二第一項の規定により犯罪行為とならないことが原審において無視されていると存ぜられますことは控訴理由の第二の点であります蓋し前記犯罪事実となれるものは事実あつたことであることは前述の通り明白であります而して弁護人の公判廷における意見の陳述は刑事訴訟法上の行為で即ち公法上の職務行為で刑法第二百三十条の二に所謂公共の利益に関することに外ならず而して被告人が弁護士早田福蔵の私行について一言半句も言及せるものでないことは論議する点早田福蔵弁論に止まり専ら公益を図るに出でたるものに有之事実は前記亀井一満の供述調書及び速記録の記載によつて立証十分なりとすれば真実なること明白に有之犯罪を構成せざることに相成り若し事実に不明の点ありとすれば立証さすべきにも拘わらず原審第一回公判期日において弁護人より事実の存否を立証するため前記一色千寿の公判に立会したる長瀬権、早田福蔵、山田高義及び亀井一満の証人尋問を請求したるも却下されたることにおいて原審が事実真否の証明を許さざりしことに相成り茲に違法ありと見えますからであります。

三、本件の被告人の所為は刑法第二百三十条公然事実を摘示し人の名誉を毀損したとするには当らないと考えられるにも拘わらず原審においてこの点無視されたことは控訴理由の第三点であります蓋し被告人は弁護士早田福蔵が公判廷で吐露した意見そのものを新聞紙に掲載したのであります。これを掲載発行することが早田福蔵の名誉を毀損するとは被告人は思いもよらなかつたのであります被告人はそれを珍弁論と批評いたしましても唯弁論を批評したに過ぎないのであります早田福蔵の人格に対して攻撃を加えたのではありませぬから未だ名誉を毀損したとは申されないと存ぜられるのであります。

右の次第につき原審における有罪の判決は相当でないと存じます。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例